創立10周年記念大会29.4.22

「宮本武之輔を偲び顕彰する会」創立10周年記念大会
(平成29年4月22日 松山市道後「にぎたつ会館」)

「宮本武之輔を偲び顕彰する会」創立10周年記念大会には、宮本武之輔の功績を通じた「松山市」
と「新潟県燕市」の交流事業に取り組まれている「野志松山市長」、四国及び愛媛県の土木技術者の
代表して「名波四国地方整備局長」と「樋口愛媛県土木部長」等の来賓の御出席に加え、松田前全日
本建設技術協会会長(元河川局長)を含む約80名の方々に御参加いただくとともに、共催者として四
国クリエイト協会の福田理事長にも御出席いただき、盛大に開催いたしました。
大会では、創立10周年記念誌の発行報告と創立10周年の歩みの発表に続き、古川副会長による
演題「恩師広井勇と宮本武之輔に学ぶ」の記念講演では、戦前の土木技術者の民衆の為に尽くした
熱い情熱と揺るぎない信念そして力強さを教えて頂き、生誕地松山市興居島に建立した銅像と同じ二
体目銅像の除幕式、そして興居島中学校生徒4名による鈴木燕市長から招待された「松山市・燕市交
流事業報告」の発表があり、成功裡に終了いたしました。

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喜びいっぱいの来賓及び主要関係者による記念撮影

宮本武之輔交流事業 27.4.14~15

松山の土木偉人
宮 本 武 之 輔 交 流 事 業
宮本武之輔の功績を通じた
~「愛媛県松山市」と「新潟県燕市」の交流促進に向けて~

平成27年4月14日(火) 交流記念講演会 【松山市役所11階大会議室】

◆ 記念講演 高橋 裕 東京大学名誉教授
2015年(第31回)日本国際賞(Japan Prize)受賞
演題:松山の土木偉人 宮本武之輔 燕市大河津での偉業
◆ パネルディスカッション
テーマ:災害につよい川づくりについて
司 会 鈴木 幸一 宮本武之輔交流事業実行委員会会長
パネラー 国土交通省四国地方整備局河川部河川調査官 高橋政則
愛媛県土木部河川港湾局河川課主幹 石丸敬三
NPO法人大河津資料館友の会理事 樋口 勲



平成27年4月15日(水) 生誕地碑除幕 【松山市役所興居島支所前】

◆ 松山市長、燕市市長挨拶
◆ 生誕地碑除幕(児童・生徒)
◆ 生徒の作文(郷土の偉人)披露


(顕 彰 碑)昭和29年5月 全日本建設技術協会建立
(銅 像)平成25年1月5日 宮本武之輔を偲び顕彰する会建立
(生誕地碑)平成27年4月15日 宮本武之輔を偲び顕彰する会建立

宮本武之輔の紹介(略歴及び功績)
syoukai_miyamototakenosuke明治25年愛媛県松山市興居島に生まれ、小学校の頃、父親が事業に失敗し、 全財産を失い中学校に進学できず、瀬戸内海航路の貨客船のボーイとなって家 計を助けた。 その後、興居島の篤志家宮田兵吉の援助を受け勉学の道に戻り、私立錦城 中学校に編入学し、異父兄窪内石太郎の影響を受け工科のコースを歩む決心 をする。第一高等学校を無試験入学、東京帝国大学土木工学科を主席(恩賜の 銀時計組)で卒業後、大正6年内務省に入省する。 利根川、荒川の大規模河川改修を手掛け、荒川では、「小名木川閘門」の設 計施工を担当し、大正12年から大正14年の1年半、鉄筋コンクリート構造物の 研究のため、欧米諸国(フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ)を歴訪した。

昭和2年の信濃川大河津自在堰陥没事故で、信濃川が干上がり農業用水が枯渇する事態となったため、内務省の 威信をかけた可動堰建設の陣頭指揮をとり、出水や風雪、風土病と戦いながら、わずか4年後の昭和6年に完成させ、 越後平野を洪水から守り、民衆のために尽した。 また、コンクリート工学博士となり、「鉄筋コンクリート」「治水工学」等を執筆、昭和12年に東京帝国大学教授(河川工 学)を兼任する。 日本工人倶楽部発足など、技術者の地位向上の運動を展開するとともに、科学技術の体制づくりのため、科学技術 庁の設立に取り組んだ。 昭和15年に内務省土木局から、内閣直属の中国占領地域に対する最高行政機関であった興亜院の技術部長に抜 擢され、昭和16年には国の最高政策立案機関であった企画院の次長(官僚のトップ)に就任。
昭和16年12月24日、東京で悪性肺炎のため急逝(享年49歳)

syoukai_shinanogawa信濃川大河津分水・可動堰(撤去前) 新潟県燕市五千石(旧水分町) 昭和2年の信濃川大河津自在堰陥没事故で、信 濃川が干上がり農業用水が枯渇する事態となっ た。 宮本武之輔は、内務省の威信をかけた可動堰建 設の陣頭指揮をとり、出水や風雪、風土病と戦い ながら、わずか4年後の昭和6年に完成させ、越後 平野を洪水から守り、民衆のために尽した。

宮本武之輔交流事業報告

平成27年4月14日(火)~平成27年4月15日(水)の2日間、交流事業を行いました。

花束贈呈

左から 鈴木 幸一 宮本武之輔交流事業実行委員会会長、野志 克仁 松山市長、
高橋 裕  東京大学名誉教授、鈴木 力  燕市長、衣笠 剛  ヤクルト球団社長

4月14日 松山市役所11階大会議室 14時より交流記念公園を行いました。

野志 克仁 様(松山市長)、高橋 裕 様 (東京大学名誉教授)、鈴木 力 様(燕市長)、衣笠 剛 様(ヤクルト球団社長)よりご挨拶をいただきました。

映画上映(民衆のために生きた土木技術者たち)し、高橋裕 様(東京大学名誉教授)に記念講演をいただきました。

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演題:松山の土木偉人 宮本武之輔 燕市大河津での偉業】

 

交流事業(新潟県燕市)26.8.16~18

愛媛県松山市と新潟県燕市の宮本武之輔をゆかりとした交流を進めて行くこととし、平成26年8月18日(月)に、新潟県燕市の『信濃川大河津資料館』で開催し、宮本武之輔を介した両市の交流促進をしました。

当日は、当会の活動内容を紹介する展示ブースを開設するとともに、愛媛県松山市から少年野球チームを含む子供達約60名の参加もあり、信濃川大河津資料館のリニューアルされた宮本武之輔に関する展示物を見学し、信濃川大河津分水路における可動堰設置に関する功績を学習することができました。

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【左から、信濃川大河津資料館友の会早川理事長、当会鈴木会長、新潟県燕市市役所鈴木市長、愛媛県松山市役所の遠藤副市長、国土交通省信濃川工事事務所の福渡所長】

講演(愛媛県視聴覚福祉センター)25.11.24

日時:平成25年11月24日
場所:愛媛県視聴覚福祉センターで行われた講演・シンポジュームの様子をご紹介します。

興居島の銅像、顕彰碑などの訪問の後、ミニシンポジュームを行いました。

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基調講演
演題「技術者 宮本武之輔 その為した仕事と思いの丈を量る」

記念講演
演題「新潟の人々に映った宮本武之輔」

ミニシンポジューム
議題「土木偉人 宮本武之輔の認知度を上げるために、今後何を為すべきか」

たくさんの方のご参加、誠にありがとうございました。

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宮本武之輔についての作文発表

松山市立興居島中学校 生徒会長 大堀 和樹(2年)

 

作文発表をする大堀君

作文発表をする
大堀君

私は昨年の道徳の授業で「民衆のために生きた土木技術者 宮本武之輔」について学習しました。それまでは、宮本武之輔さんの名前とこの場所に石碑があることくらいしか知りませんでした。

宮本武之輔さんは、今から約120年前、1892年にこの興居島で生まれました。 そして、私と同じ由良小学校に入学したそうです。その後、紆余曲折を経て、土木技師として内務省土木局に入省されました。「現場に出て後世に残る事業を手がけたい」との思いで、荒川、利根川といった日本の代表的な河川で、現場責任者として改修に手腕をふるい今日の河川の姿を作り上げていきました。 特に、36歳の頃、工事主任として手がけた信濃川の可動堰の補修工事では、作業員や地域住民と心を一つにして、その仕事を全うしました。工事終盤の集中豪雨では、洪水の危険が迫ったとき、地元住民の被害を防ぐため、8割方完成していた堤防を壊したそうです。「民を信じ、民を愛す」を信条にし、民衆の生活を一番に考え、偉業を成し遂げました。このような功績をもち、しかも決しておごりたかぶることなく、民衆と力をふるった方が同じ興居島出身であることを本当に誇りに思います。先日の愛媛新聞でも3回に渡り、宮本武之輔さんの記事が掲載されていました。とてもうれしく思いました。この銅像設置を機に、もっともっと多くの人に宮本武之輔さんについて知ってほしいと思います。

 私自身、将来、多くの夢をもっています。まだ、一つには決められませんが、この武之輔さんのように、大きな志をもち、そして、人の心を大切にして、人のために役立てる人となれるよう自分が今やるべきことを一生懸命に取り組んでいきたいです。

来賓挨拶 松山市長 野志 克仁様

松山市長 野志 克仁様

松山市長 野志 克仁様

松山市長
野志 克仁様

今日は、県外からもお越しの方がいらっしゃいますので、松山市長の野志克仁と申します。この度は銅像の完成、誠におめでとうございます。

皆様ご存じのとおり、この松山市出身の宮本武之輔氏は、内務省の技術官僚でございました。利根川や荒川の改修工事に従事をいたしまして、信濃川の大河津自在堰が陥没した際には、現場主任として設計と施工の陣頭指揮を執りまして、可動堰を完成させるなど治水事業に貢献をされたほか、東京大学の教授として後進の育成にも力を注がれるなど、河川行政の進展、河川工学の発展、技術者の地位向上にも多大な功績を残されました。

「宮本武之輔を偲び顕彰する会」におかれましては、こうした偉業と功績を1人でも多くの人に知ってもらいたいと、イベントでの講演会やパネル展示など、様々な活動を積極的に展開されておられまして、さらにこの度、顕彰をより具体化させるため、銅像の建立にご尽力されたことに、深く敬意を表したいと思います。

この度、銅像を造られたのは、「西条市在住の彫刻家、『近藤哲夫さん』」でいらっしゃいます。実は近藤さんは、教師を長年されていらっしゃいまして、素晴らしい教育に対する考えをお持ちの方でいらっしゃいます。私、前職アナウンサーをしておりました時に、5年前ぐらいになりますか、近藤さんのご自宅に伺いまして、教育論などを大変伺いました。「またお会いしたいな。」と思っていたんですけども、運命的なことが絡みまして、今の立場を得ますと、なかなか松山を離れることができません。「もう、お会いできないのかな。」と思っておりましたけども、この度こういうご縁で、またお会いすることができました。宮本武之輔さん、また、皆さんが会わせてくれたものというふうに、このご縁に感謝をしております。

松山市におきましても、“一人でも多くの人を笑顔に 全国に誇れる、わがまち松山”をキャッチフレーズに掲げ、先人が培ってきた、誇れる地域の宝に磨きをかける「たからみがき」のまちづくりを推進しております。宮本武之輔さんは、まさに、松山、ふるさと愛媛にとって、宝でございます。どうか、「顕彰する会」の皆さんにおかれましても、松山の宝である宮本氏の顕彰活動を通して、地域文化の普及と振興に、いっそうのお力添えを賜りますよう、お願い申し上げます。

結びに、銅像の完成が宮本武之輔氏の功績を、さらに多くの方に知っていただく機会となり、「顕彰する会」の皆様の活動がますます充実することをご祈念申し上げ、私からのご挨拶とさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。