宮本武之輔を偲び顕彰する会 創立5周年

平成18年6月23日に結成した宮本武之輔を偲び顕彰する会も平成24年度で5周年となります。これまでの記録を「武之輔を偲び顕彰する会 5周年記念誌」よりご案内いたします。

「宮本武之輔を偲び顕彰する会」    会長  鈴木 幸一

会長  鈴木 幸一

会長
鈴木 幸一

武之輔が旧制錦城中学入学の明治40年(丁:ひのと、未:ひつじ)4月6日に始まるこの日記は丁未日記として昭和16年12月に亡くなるまで、毎日欠かさず記されています。入手した原本の複製には、一部不明なところが見られ、難解な漢字を含んだ草書体であり、また留学先ではフランス語、ドイツ語、英語の走り書きなどもあり、大変読み辛いものでした。

ただ、じっくり読んでいくと、明治から大正にかけての技術者が、西洋の技術を取り入れる中で、どのような考えを持ち行動したかがはっきりと分かり、取り憑かれてしまいました。

それから5年後、旧東京帝大の広井教授門下でパラマ運河建設に参加した青山士,台湾の烏山頭ダムを作った八田與一、信濃川大河分水堰を改築した宮本武之輔らの業績の評価に熱心に取り組まれている東京大学名誉教授「高橋裕先生」のご指導があり、武之輔の生誕の地松山に「宮本武之輔を偲び顕彰する会」を立ち上げました。

会については、著書「台湾を愛した日本人」で八田與一を世に知らしめた古川勝三先生の情熱や石丸事務局長の献身的な会の運営と、全会員の熱心な活動に支えられ、会の発足から5年が経ちました。

日記を手掛かりに、一人の人間の一生をふり返ると、自分もその時代を生きた気分になるのは不思議です。

パリ留学中の1924年1月23日(水)の日記でロシアのレーニンの死亡を新聞で知り、27日(日)の日記で、パリのデウス通りで共産主義者のレーニン追悼デモがあり、ベルリン滞在中の6月9日(月)の日記では、5月は各国で総選挙の行われた月で、イタリアではファッシストが絶対多数をしめてムッソリーニの内閣は更に強みを増し、日本では憲政会、政友本党、政友会革新倶楽部の順といわゆる護憲三党が勝利し、ドイツでは反政府党203、政府党138、中立党131となり、フランスは右派が国民連合244を含む264、左派は左派連合276と共産党29の305となったことなどが記されています。

断片的な歴史的事実を知るだけで当時の世界が生き生きと蘇ってくることから日記の不思議な魅力を感じます。

武之輔の最大の功績は、なんと言っても膨大な日記を残したことだと、“私は”思います。それなりの功を成した人物の日記を通して、大半の平凡な日常生活と、凡人とは違うわずかな非日常と特異な生活体験を共有できる面白さを楽しませていただいております。

会のもう一つの楽しみは、会員同士の懇親です。多様な環境の会員の例会後の懇親会での意見交換では、いろいろな意味で新しい発見がありものの見方を広げる場ともなっています。宮本武之輔“日記”からできたこの人間の輪が、これからも永く一人の人間の生き方を「偲び顕彰する」ことを通して、迷える日本の若者に生き方を考えるきっかけを示すことを目指すとしたら、それは望外の期待でしょうか。

平成25年3月