創立から10周年までの経緯

1 設立から創立5周年までの経過

当会は、宮本武之輔に関する情報を発信することにより、より多くの人々に、我が郷土が生んだ情熱のエンジニア宮本武之輔のことを知って貰うと共に、その業績を永久に残すための顕彰を行い、顕彰活動によって、成人はもとより、特に青少年にたいして学校教育や社会教育の中で「飲水思源」の感謝の気持ちを育み、庶民のために生き、公に奉仕する事が出来る第二、第三の宮本武之輔が生れることを願い、平成18年6月23日に8名の会員で結成した。

結成当初は、宮本武之輔の功績と人となりを資料から読み解くことから始めた。活用した主な資料は、東京大学名誉教授の高橋裕先生が監修され大成建設が制作した「民衆のために生きた土木技術者たち」のDVD、社団法人北陸建設弘済会(現在の一般社団法人北陸地域づくり協会)発行の「久遠の人 宮本武之輔写真集」などの書籍、そして愛媛大学で解読されていた「宮本武之輔日記」であった。

また、県内にある宮本武之輔の痕跡を求めて生誕地の興居島由良に出向き、顕彰碑や墓所を巡ると共に、地元の住民の方々と話をした。地元の方々は、大きな碑があるのは知っていても、何の碑なのか、ましてや宮本武之輔とはどのような人なのか知っている方はほとんどいらっしゃらなかった。

次に取り組んだのは、講演会や資料展示による広報活動であった。平成19年11月16~17日のアイテム愛媛で開催された「くらしと技術の建設フェアーin松山2007」では、古川副会長による初めての講演が盛況となり、展示ブースにも多くの方々の訪問があった。また、毎年11月3日の興居島由良地区文化祭において、宮本武之輔に関する講演会を開催すると共に、平成24年には、より多くの方々に情報発信するため専用のホームページを開設した。

一方、念願であった新潟訪問については、強行軍であったが、平成22年11月21~23日に11名の参加で実現した。初めて信濃川大河津分水路を訪れる会員も多く、宮本武之輔の最大の功績の一つである可動堰を間近で見学し、資料館では、多くの展示物や実物の日記等を拝見させていただき、宮本武之輔の存在を肌で感じることができた。

そして、最大の行事となったのが「宮本武之輔銅像建立プロジェクトである。
宮本武之輔が没して70年の歳月が過ぎた節目に、郷土が誇れる土木偉人として胸像を建立し顕彰することが、郷土松山のためばかりでなく、21世紀を生きる日本の若者のためにも意義のある事との思いで、不安もあったが思い切って取り組み、約250の企業・団体、個人の方々から多額の御寄付を頂き、西条市在住の彫刻家である近藤哲夫氏の手により立派な胸像が制作された。
平成24年11月18日に道後のホテル椿館で開催した「宮本武之輔銅像完成記念式典
では、野志松山市長をはじめ、国土交通省四国地方整備局の鈴木河川部長、愛媛県土木部の井上部長など多数の来賓の御臨席を賜るとともに、多数の寄付者の御出席のもと、高橋裕東京大学名誉教授による記念講演、銅像完成除幕を執り行い、式典後の祝賀会は大いに盛り上がった。さらに、平成25年1月5日には、興居島の顕彰碑前において宮本武之輔銅像設置式典を開催し、地元の多くの方々の御出席のもと、盛大な式典を行った。

設立から創立5周年を総括すると、宮本武之輔を知り、その偉大な功績を広めることに邁進した期間であった。

 

2 創立5周年から創立10周年までの経緯

銅像設立という大きな目標を達成した後、これまでの顕彰活動に加え、新たな活動内容の方向性を見つけるため、平成25年11月24日に愛媛県視聴覚福祉センターにおいて、ミニシンポジューム「宮本武之輔を語る会」を開催した。既に宮本武之輔の顕彰活動に取り組まれていた新潟のNPO法人「信濃川大河津資料館友の会」の早川理事長と樋口理事を御招きし、新潟における宮本武之輔の功績や評価について講演いただくと共に、パネルディスカッションでは、愛媛県生涯学習センターの冨吉主任学芸員にも御参加願い、これからの活動内容について御議論いただいた。

一方、一連の宮本武之輔の銅像完成行事について、マスコミに取り上げていただいた影響は大きく、講演会の依頼が舞い込んできた。平成26年12月4日には、愛媛県文化センターにおいて、伊予史談会例会での講演を、平成27年11月15日には、愛媛県生涯センターにおいて、コミュニティーカレッジでの講演で、歴史愛好家をはじめ多くの方々に説明するチャンスを頂いた。

毎年続けている興居島の由良地区文化祭での講演では、嬉しいことに、参加されている住民のほとんどの方が宮本武之輔を知っているとのことであり、地元での認知度が高まっていることが分った。また、愛媛県生涯学習センターの愛媛人物博物館では、平成27年4月1日から宮本武之輔コーナーが常設展示されるなど、活動の成果が着実に実を結んでいることが実感できた。

そして、顕彰活動に大きな転機が訪れたのは、松山市と燕市の交流の始まりであった。平成26年8月18日には、新潟県燕市の信濃川大河津資料館において、遠藤松山市副市長、鈴木燕市長、当会の鈴木会長、信濃川大河津資料館友の会の早川理事長、福渡信濃川工事事務所長の出席による交流記念式典が開催された。当会からは、会長に加え、古川副会長と石丸事務局長も参加し、前日の懇親会においては、信濃川大河津資料館友の会、信濃川工事事務所、燕市役所、松山市役所の関係者と宮本武之輔を介した交流の発展と顕彰活動の連携について、話が大いに盛り上がった。

松山市と燕市の交流は、平成27年4月14~15日に松山市で開催された「宮本武之輔交流事業」で大きく発展することとなる。松山市と燕市という行政が関わることにより、大きな顕彰の波が動き出すこととなる。松山市と協力し、交流事業の実行委員会会長には、鈴木会長が就任すると共に多くの会員が参画し、新潟関係者や来賓、講演者、参加者の調整等の大きな役割を担うこととなった。

記念講演会には、野志松山市長、鈴木燕市長、松山市と燕市の縁を取り持った衣笠ヤクルト球団社長の祝辞にはじまり、高橋裕東京大学名誉教授による記念講演、パネルディスカッションが開催され、特に記念講演では、宮本武之輔が、何故、偉大な土木技術者と言われているのか、数々の功績やエピソードを交え説明していただくと共に、宮本武之輔から学ぶべきことが数多くあることを教えていただき、約300名の聴衆が話に引き付けられていたのが印象的であった。
翌日は、興居島由良で生誕地碑の除幕式を執り行い、多くの地元の方々にも御出席していただいた中、松山市長と燕市長の挨拶、地元の興居島小・中学校の児童生徒による除幕や小中学校への展示パネルの贈呈等を行った。

その後、興居島小・中学校では、古川副会長が講師となった学習会が開かれ、中学3年生は宮本武之輔の業績等についてまとめると共に、小学6年生は燕市長の招待で新潟県燕市を訪問し、可動堰や資料館を見学すると共に地元小学生との交流を深め、その成果を学校での報告会や由良文化祭で発表するなど、子供たちが宮本武之輔の功績に触れる学習活動に取り組まれている。

創立5周年から創立10周年を総括すると、顕彰活動が大きく実を結び始め、新潟との連携・交流に全力を注ぐと共に、子供たちに郷土の偉人の功績を伝えていく新たな取り組みが見え始めた期間であった。

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