設立趣意書|設立経過

松山が生んだ情熱のエンジニア
「宮本武之輔を偲び顕彰する会」設立趣意書

蛇口をひねれば綺麗な水が出る。ボタン一つでトイレが水洗され、スイッチ一つで電気が付き、調理ができ、リアルタイムに情報を得ることが出来る。それが特別なことではなくどこにでも見られる普通のことになった。本当に我々の生活は便利になった。
この便利な生活を支えるインフラ整備に、どれだけ多くの時間と労力と経費がかかったかなどと考える人はまず居ないであろう。ましてや、そのインフラ整備にどれくらい高度な技術力が必要で、どのような技術者がどのような考えで取り組んだのかなどと思索する人は居ないであろう。

しかし、そこには必ず高度な技術力を持ち、そこに暮らす民衆のことを考えて今日のインフラ整備のために日本の国土に闘いを挑んできた多くの技術者が居たはずである。安政元年に生まれフランスに留学して近代日本の土木の基礎を築いた古市公威、文久元年生まれで琵琶湖疎水を完成させた若き土木技師田辺朔郎、文久2年生まれで北海道のインフラ整備に挑んだ広井勇、パナマ運河の建設に挑み、荒川放水路を完成させた青山士、台湾最大の嘉南平原に東洋一の灌漑施設を完成させた八田與一、朝鮮半島に貯水量55億トン発電量70万kwの水豊ダム完成させた久保田豊など、実に多くの技術者の知恵と汗によって今日の便利な生活が保障されたのである。

そのような技術者の一人に、我が郷土、松山が生んだ情熱のエンジニア宮本武之輔が居る。新潟の大河津分水可動堰修復工事における宮本武之輔の活躍は、土木史上に燦然と輝く金字塔であり、官僚として技術者の地位向上のために奮闘してきたことも特記されることである。しかし、松山で彼の名前を知る人はほとんど居ない。それどころか顕彰碑のある興居島においてさえも、知られていない。

そこで宮本武之輔と同じ郷土に住む我々が、宮本武之輔の足跡をたどり、民衆のために生きた偉大な業績と生き方を知ると共に、その情報を発信することによって波紋を広げ、我が郷土が生んだ情熱のエンジニア宮本武之輔を訪ね、顕彰し、「飲水思源」の大切さを特に若き青少年に知っていただくためにこの会を結成した。

民衆と共に生きた情熱のエンジニア
「宮本武之輔を偲び顕彰する会」の設立経過

平成17年夏、高橋裕東大工学部名誉教授による講演と映写会が愛大で行われた。演題は「民衆のために生きた土木技術者たち」で郷土が生んだ土木技師宮本武之輔のことを中心に青山士、八田與一のことについて話され、続いて大成建設の企画で生まれた三人の足跡をたどる映画が上映された。

この講演と映写会は大きな反響を呼んだ。そのような中で、宮本武之輔を多くの人に知ってもらいたいと考える有志が集まって第一回の会合が持たれた。平成18年6月23日のことである。18時30分から辻町の専門学校で行われた発会式への参加者は、鈴木幸一・菊池雅彦・中川達郎・田村守・勝谷雄三・土居繁・赤根良忠・石丸敬三・古川勝三の8名であった。以後2ヶ月に1回の割合で会合を持ち、武之輔の日記の読み調べや現地興居島での調査や地域住民への協力要請などを行っている。