宮本武之輔の画像資料を、時系列でご紹介しています。武之輔が思い出を振り返っているかのように、お楽しみください。
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【異父兄 窪内石太郎】
宮本武之輔の生涯は義父兄 窪内石太郎無しではありえない。武之輔は、人生の苦悩をことあるごとに打ち明け相談した。また、石太郎も弟の才能を評価し、勉学に励む必要性を教え、工科のコースを目指すように強く説得する。東京帝国大学採鉱冶金学科卒、明治工業株式会社取締役
【篤志家 宮田兵吉】
武之輔の生涯を語るうえで忘れてはならない大恩人である。武之輔に中学、高校を通じて毎月学費、生活費の仕送りを続けた。村会議員を30年余り務めた村の長老各で、私財をなげうって、道路や貧民救済事業を行った。無理な返済は求めず、勤勉さとともに、優秀な成績を求めた。武之輔は、危篤と聞いて公務を中断し急遽島まで駆けつけている。
宮本武之輔の生涯は義父兄 窪内石太郎無しではありえない。武之輔は、人生の苦悩をことあるごとに打ち明け相談した。また、石太郎も弟の才能を評価し、勉学に励む必要性を教え、工科のコースを目指すように強く説得する。東京帝国大学採鉱冶金学科卒、明治工業株式会社取締役
【篤志家 宮田兵吉】
武之輔の生涯を語るうえで忘れてはならない大恩人である。武之輔に中学、高校を通じて毎月学費、生活費の仕送りを続けた。村会議員を30年余り務めた村の長老各で、私財をなげうって、道路や貧民救済事業を行った。無理な返済は求めず、勤勉さとともに、優秀な成績を求めた。武之輔は、危篤と聞いて公務を中断し急遽島まで駆けつけている。
※同級生に芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、後に大河津自在堰を設計する岡部三郎が同級だった。中学時代は小説にのめりこみ、自ら執筆し将来は文学者を目指そうと志したが、異父兄に大反対されたこともあり作家の道を断念した。
大正9年4月10日、東京で結婚式と披露宴が行なわれた。武之輔28歳、幸子18歳。
大正12年6月、武之輔は内務省(現在の建設省)から欧米の長期出張(留学)を命じられた。
昭和2年の信濃川大河津自在堰陥没事故で、内務省の威信をかけた可動堰建設の陣頭指揮をとり、出水や風雪、風土病と戦いながら、わずか4年後の昭和6年に完成させ、越後平野を洪水から守り、民衆のために尽した。
※写真は武之輔のご子息宮本信氏、(社)北陸建設弘済会のご協力による。