宮本武之輔を偲び顕彰する会【創立10周年】

平成18年6月23日に結成した宮本武之輔を偲び顕彰する会も平成30年度で10周年となります。これまでの記録を「武之輔を偲び顕彰する会 10周年記念誌」よりご案内いたします。

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「宮本武之輔を偲び顕彰する会」会 長 鈴 木 幸 一

“光陰矢の如し”と言いますが、「宮本武之輔を偲び顕彰する会」が発足して本年が10周年となります。この間、会員の皆様を始め多くの方々のご協力を戴き、それまで全国的には多少知られてはいましたが、生誕の地であります松山では全く無名であった武之輔の名前が10年経った今、松山でもかなり知られるようになりました。皆様のご理解とご協力に、この場をお借りして、篤く御礼申し上げます。
思い起こせば、2006(平成18年)に東大名誉教授の高橋裕先生に促されて発足した会でありましたが、発足後5年目までは武之輔の胸像設置活動を主体とし、武之輔に関する資料整理や武之輔の日記の概要を勉強することを通して、宮本武之輔を偲び顕彰しました。後半の五年間では、宮本武之輔を一般の皆様に知ってしていただくためのシンポジウムや愛媛県の偉人の一人として認めて頂く運動や武之輔が活躍した新潟県の燕市との交流などの展開がありました。そのような活動の中で興居島の若者が武之輔に関心を持ち、燕市との交流に参加するようになったことは特筆すべきことです。昨年興居島で行われた武之輔生誕の碑設置記念式典に参加いただいた鈴木燕市長に、今年の夏、燕市に興居島の小学生3名を招待して頂きました。信濃川大河津分水路建設のきっかけとなった大洪水「横田切れ」の120周年記念事業に、引率された先生や父兄及び松山市職員と一緒に、参加させていただいたそうです。興居島小学校6年の3名は地元分水小学校の生徒から宮本武之輔の分水堰建設での活躍を説明してもらい、郷土の武之輔を誇りに感じていたと、同行された興居島中学兼小学校の稲田校長からお話を伺いました。学校を訪問したその日は、武之輔も見たであろう無形重要文化財となっている興居島の舟踊りがあり、中学生も参加し水軍太鼓で盛り上げているのを見、興居島で勉学している中学生のたくましさを感じさせていただきました。
本会の一つの重要な目的は、宮本武之輔の偉業を世の中に広く知っていただくことを通して、郷土の青少年が武之輔のような青雲の志を抱いて社会の進歩に貢献できる大人になっていただくきっかけを作ることです。それが、高橋先生の最初に言われた“宮本の松山、松山の宮本”運動の意義ともなると思います。それは、正に宮本武之輔のめざし努力した軌跡を理解し広めることによってなされるものと考えています。
10年の一区切りがついた今、今後とも郷土松山の宮本武之輔を偲び顕彰する活動を息の長くまた広がりを持ったものに展開していくことを決意している所です。多くの皆様の協賛ご協力をお願い申し上げます。
平成29年3月